R水素の基礎知識

水素エネルギーの政治的背景

オイルショックの頃に、ハワイに世界中から水素のエキスパートがあつまり、今でいうところの「R水素国際会議」が開かれました。しかしその後、アメリカ連邦政府への「R水素を推進する法案提出」は政治的に無視をされてきたのです。皆さんとともに政治的アクションを起こして政治を動かし、政策誘導と市場拡大により、R水素社会を実現しましょう!

1973年 秋 •第一時オイルショック(イラン革命の始り)。
•当時アメリカ大統領Jimmy Carter がイランの輸入を停止、それにより予測されていた以上にアメリカの石油価格が上昇。
•ハワイは化石燃料から再生可能エネルギーへの転換を宣言。
1974年 •ハワイ州議会がハワイ自然エネルギー学会 / Hawaii Natural Energy Institute(HNEI)を設立
•第一回 水素エコノミー国際会議、国際水素エネルギー協会の発足(International Association for Hydrogen Energy) 。
1979年 •ハワイ大学に教授 Patrick Kenji Takahashi が、上院議員S park Matsunaga(民主党)と働き始める。Spark Matsunaga は弁護士であり、技術的な背景はないに等しいに関わらずエネルギーの将来は水素にあると確信していた。
1980年 •世界初、水素法案を書き上げられる。後にマツナガ条例(Matsunaga Act)となる。
•水素法案のポイント:
→25年スパン
→書き上げた当時、国の水素予算はゼロ
→この法案では、化石燃料、原子力ではなく、再生可能エネルギーからつくられる水素のことを示している(以下R水素とする)
→アメリカのエネルギー長官のためにHydrogen Technical Advisory Panel(HTAP)/ 水素技術 諮問委員会を設立。年に2、3回集まり、国のエネルギー/水素政策を決める。HTAP 一番の特徴は、エネルギー省と議会、両方にレポートすること。その他エネルギー(化石燃料、原子力、太陽光)の諮問委員会は両方にレポートしたことがない!
1982年9月 •Spark Matsunaga 水素法案が議会に提出されるが、法案は政治的に封殺される。
•共和党のロナルド・レーガン大統領は再生可能エネルギーに後ろ向きな姿勢であったため、予算を限りなくゼロにするよう指示。レーガン大統領の任期中(1981年1月20日〜1989年1月20日)、法案は全く動かなかった。
1983年 •ハワイ州議会が、Patrick Takahashi の水素研究と開発プログラムに 50,000米ドルを出す。これにより、グラントを取ることや水素研究室をつくることができた。
1984年5月 •ハワイにて第一回国際水素シンポジウム(再生可能エネルギーからの水素 International symposium on hydrogen produced from renewable energy)
1986年 •連邦議会はさらに 100,000米ドルを水素政策に投入。目的はハワイで初の世界水素エコノミー会議(World Hydrogen Energy Conference)を開くこと。
1989年 •議会は共和党の支配下にあり、水素法案には全く動きが見られなかった。

•水素研究と開発の予算を獲得するのに信頼性が必要。

•自分たちでR水素の作業をつくることにした。

•National Hydrogen Association を設立(20社程の集まり)
→この産業グループも議会と行政と密接に動いた。

1980年代はほとんど水素の予算がおりなかった。アメリカエネルギー省の水素エネルギー会年次報告書で水素の予算が2千万米ドルから3千万米ドルと書かれていても誰もその予算を入手できなかった。未だにマツナガ条例は通っていなかった。この予算は “Black Budget” と言われている。
1990年
11月15日
•アメリカ大統領George Bush がマツナガ水素法案をサインし、可決した。後にSpark M. Mastunaga Hydrogen Research, Development and Demonstration Act of 1990 と知られるようになる。
•水素社会への調査
•研究の予算案が通った。

水素法案は書いた当初、25年スパンで書いていたが、この時にはもう30年たっていた。Spark Matsunaga は同じ年の4月に亡くなっている。George Bush はマツナガ議員とは同期の議員で仲が良かった。「友人として」の最後の頼みを申し入れたマツナガ議員はすでに末期ガンだった。Bush のサインは「友人として」からと言われている。

マツナガ水素法案に記されている1992年〜1994年会計年度の水素予算案:
①1992年:$3,000,000
②1993年:$7,000,000
③1994年:$10,000,000
2003年 •アメリカ大統領George W. Bush が一般教書演説で1.2億米ドルの水素燃料イニシアティブを発表する。
•このときに初めて利用できる予算がおりた。
2005年 •エネルギー法案の中で、HTAP(Hydrogen Technology Advisory Panel)が創設され、米国が水素社会に向けて本格的に動き始める。
•8月8日「2005年エネルギー政策法(Energy Policy Act of 2005)」が成立され、その第8条に「2005年スパーク•マツナガ水素法」(Spark Matsunaga Hydrogen Act of 2005)が入った。これが世界初の再生可能エネルギーをベースとした水素社会を実現するための法律だと言われている。
•この年の水素予算は太陽光予算の2倍おりた。

スパークマツナガ水素法(マツナガアクト)は以下のことに取り組む:
①多様なエネルギー源からの水素製造
②業務用・産業用・家庭用発電への水素利用
③水素または水素担体燃料への安全な配送
④先進自動車技術
⑤水素または水素担体燃料の貯蔵
⑥安全で耐久性があり、価格が手頃の優れた燃料電池の開発
⑦民間部門との協議会、水素・水素担体燃料・関連製品の製造、配送、貯蔵、使用のために必要な規格や安全対策
2006年 •アメリカエネルギー長官が、HTAPを水素と燃料電池の技術諮問委員会として再び認める。
2007年 •上院歳出委員会が、水素の研究開発プログラムだけが2007の会計年度縮小していないと発表。
2008年〜 •さらに行政は水素以外の再生可能エネルギーのリクエストやプログラムを縮小した。
•エネルギー効率と再生可能エネルギー予算:5億米ドル
•水素予算:2億2800万米ドル

この年を最後に水素予算は削減されていくことになる。
(2008年はGeorge W. Bush 任期最後の年)

国際通貨基金(IMF)の発表によると化石燃料会社への補助金は約200兆円になると発表されて再生可能エネルギーを広げるのを拒んでいる原因ともなっている。https://skepticalscience.com/IMF-fossil-fuel-subsidies-estimate.html

参考文献:
•Takahashi Kenji Patrick. Simple Solution: for planet earth, Book 1. Indiana: AuthorHouse, 2007.
•Takahashi Kenji Patrick. 2009年3月、2010年9月29日の2度にわたる、R水素ネットワークとのインタビューとの独自調査による。
•オルタナ #15 9月2009年 pg.26〜27 協力:R水素ネットワーク

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